【解答例】
[出典:Ran Zwigenberg, Hiroshima: The Origins of Global Memory Culture, Cambridge: Cambridge University Press, 2014, pp.1-2]
[1] 1962年アメリカ人精神科医のロバート・リフトンは広島の平和記念館を訪れた際に大きな衝撃を受け,広島に留まり被爆者の救済を決心したが,彼のそうした反応は当時も世界が核戦争の脅威にさらされていたためであった。(100字)
[2] かつてリフトンが受けた強い衝撃も現在では感じられなくなっており,記念館の説明からも誰がなぜ原爆を投下したのかが読み取れない。歴史から断絶したこうした消極的態度は現代世界にとって非常に由々しきものである。(100字)
[3] 記念館にある強烈な写真とその消極的な説明書きは非常に対照的であり,来館者や被爆者の激情が抑圧されている印象を与え,あたかもそれが建つ中島のように記念館が過去の記憶とは断絶してしまっているかのようである。(100字)
[4] 近代性と科学の信頼と戦後秩序を再建しようとする世界のエリートたちは,原爆投下は我々が科学に依存した結果ではなく一時的な誤りであり,それを正すために広島は犠牲になったのだとして,広島の悲劇を無害化した。(100字)
(設問:以下の文章を読み,[1]~[4]の段落ごとの要旨を,それぞれ100字以内でまとめなさい。)
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